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陸奥国 会津郡 高久組 上高野村 大日本地誌大系第31巻 36コマ目 府城の西北に当り行程1里。 家数39軒、東西1町59間・南北3町56間。 米沢街道の左右に住し、四方田圃(たんぼ)なり。 東3町18間沼木村の界に至る。その村まで5町20間余。 西2町57間中地村の界に至る。その村まで5町20間余。 南4町21間府下西黒川達磨分の地に界ふ。 北4町42間鶴沼村の界に至る。その村まで8町余。 また 巳(南南東)の方4町13間中明村の界に至る。その村まで11町40間余。 未(南南西)の方の1町36間平沢村の界に至る。その村まで7町20間余。 亥(北北西)の方5町50間下高野村の界に至る。その村まで8町40間余。 神社 丘降神社 祭神 不明 倉稲魂命? 相殿 伊勢宮 稲荷神 山王神 明神 鎮座 不明 村の戌亥(北西)の方1町20間にあり。 祭神及び鎮座の始を詳にせず。 或云。倉稲魂命祭れりと。 鳥居幣殿拝殿あり。高久村黒沢縫殿之助が司なり。 ※読み方は「丘降(おかふり)神社」。 寺院 西方寺 村中にあり。 曹洞宗無量山と號す。 天文8年(1580年)浄土宗の僧傳長という者開基せり。 文禄元年(1593年)寒首座という僧住してより今の宗に改め、天寧村天寧寺の末寺となる。 本尊地蔵客殿に安ず。 Google Map高野地区 高野神社(丘降神社) 西方寺 大天白神社 メモ 大天白神社と聞きなれない神社ですが、軽く調べてみると埼玉県羽生市にも同名の神社があるようです。 関連は分かりませんが、羽生市にある大天白神社では大山祇命・大己貴命・少彦名命の三柱を祭っています。 追加 上高野地区について詳しい説明を見つけたので引用します。 永和の暮らしと歴史(会津若松市) 幕末、会津藩主の松平容保が京都守護職時代、禁門の変で亡くなった「上高野村伊藤伝助」の墓が京都黒谷の光明寺にあります。村東にある西方寺は、天文8年(1539)に建てられています。高野神社は、『会津鑑』によると、「里老の伝に、この神社、天文(てんぶん)年中の洪水にて、神の祠が漂い来て、この丘に留まる故に、丘降(おかふり)神社」という」と書かれています。そのことから、天文年間の大洪水、『会津旧事雑考』にある天文5年(1536)6月28日にあった「白鬚(しらひげ)大水」をさすもので、会津最大の洪水とされ、大川の流れが、それまで本郷から新鶴方面に流れていものが、本郷から塩川方面へ北に流れを変えた他大洪水のことです。集落の中心部には、「湯殿山」の石碑があります。明治2年(1867)に、会津藩の名書家だった星研堂によって書かれ建てられたものです。星研堂は、会津戦争で若松城に籠城し、息子は戦死しています。その後、開城後に塩川送りとなり、塩川代官所・現在の塩川小学校にいて、学問所として設置された「日新館」で書を教えていました。若松と塩川との往復時に、米沢街道の本街道が通る上高野では、村人が会津戦争の慰霊のためにと頼み込んだものです。星研堂は、その年亡くなり、墓が塩川町の阿弥陀寺にあります。 ※引用元ですが下高野の説明文が上高野の中に混ざってしまっています。担当の方、気づいて! 丘降神社は高野神社に合祀されているようです。
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陸奥国 会津郡 熨斗戸組 八総(やそう)村 大日本地誌大系第31巻 114コマ目 府城の西南に当り行程17里5町。 家数18軒、東西1町40間・南北30間。 山間に住し南は立下川に臨む。 東1里17町本郡河島組滝原村に界ひ中山峠を限りとす。その村まで3里。 西4町30間森戸村の界に至る。その村まで8町。 南4間井桁村に界ひ岩下川を限りとす。その村まで2町。 北18町森戸村の山に界ふ。 山川 中山峠(なかやまとうげ) 村東により登ること1里17町にして頂に至る。 古木陰森(いんしん)として幽邃(ゆうすい)なり。 ここを越て河島組の諸村に往く。 本郡河島組滝原村と峯を界ふ。 岩下川(いはしたかわ) 村南にあり。 井桁村の境内より来り、西に流るること4町余、森戸村の界に入り立岩川となる。 広10間。 関梁 前橋(まへのはし) 村南岩下川に架す。 長10間。 隣村の通路、丸木橋なり。 神社 伊勢宮 祭神 伊勢宮? 勧請 不明 村東4町計にあり。 鳥居あり。井桁村阿久津和泉が司なり。 稲荷神社 祭神 稲荷神? 鎮座 不明 伊勢宮と同じ処に祠る。 村民の持なり。 三島神社 祭神 三島神? 勧請 不明 村北1町にあり。 鳥居あり。阿久津和泉が司なり。 日光神社 祭神 二荒山の神 同下 鎮座 不明 三島神社の東30間にあり。 鳥居あり。阿久津和泉が司なり。 稲荷神社 祭神 稲荷神? 相殿 稲荷神 境内にあり。 山神社 祭神 山神? 鎮座 不明 村東1町余にあり。 鳥居あり。村民の持なり 山神社 祭神 山神? 草創 不明 村東1里5町山中にあり。 村民の持なり。 古蹟 竹杖原(たけつえはら) 村東10町余、中山峠に登る道にあり。 東西20町余・南北9町余。 昔、高倉宮ここを過ぎ路次の梗渋(こうじゅう)(*1)に苦しみ疲れたまひしかば、村翁あはれみまゐらせて道の傍なる小柴栗とて枝間に実をはさめる樹をきり竹杖に代てすすめしが、宮怪(あやし)みてその名を尋(たずね)給うに小柴栗と云いより答えれば、『陸奥の 南の山の小柴栗 大宮入は 知らで過ぎゆく』と詠したまひしとぞ。夫(それ)より中山峠を越え石に踞(かが)みして憩ひたまひしとて土人腰掛石と称せしが、ここを詳にせずという。今里俗の小柴栗と称するもの往々この邊の山中にあり。子細に榛(はしばみ)実に似て小刺あり。尋常の「しばぐり」とは別種なり。姑(しばら)く土人の伝えるままに記す。 Google Map八総地区 中山峠 大皇神社 鳥居 高杖原 Goo地図二荒山神社(日光神社) 会津高原たかつえが創造しい。(舘岩村要覧) 会津高原 たかつえの遊び方(PDF)(前沢曲家集落 周辺の情報) 補足:日光二荒山神社について(Wikipediaより) 日光三山を神体山として祀る神社。 祭神 男体山(二荒山) 大己貴命(おおなむちのみこと) 女峯山 田心姫命(たごりひめのみこと) 太郎山 味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと) 山を神として祀る場合は、三山がセットになる事が多いです(出羽三山等)。 また会津郡弥五島組白岩村の日光神社の祭神に大己貴命との記載もあり、会津風土記の日光神は大己貴命の事を指しているものと思われます。
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陸奥国 会津郡 中荒井組 大日本地誌大系第31巻 40コマ目 この地府城の西に当たり、本郡の東北にて大沼郡の地に跨り、宮川その間を限れり。 東は高久組に界ひ、西は河沼郡牛沢組に接し、南は本郡橋爪組・大沼郡高田組に続き、北は河沼郡坂下組・牛沢組に隣る。 東西3里(東は高久組鍛冶屋敷村の界より、西は牛沢組大野村の山界に至る)。 南北1里(南は橋爪組西麻生村の界より、北は牛沢組上茅津村の界に至る)。 東を鶴沼川流れ中央を宮川流れ、西に僅かに小山あり。 村里皆広平の地にあり。田圃(たんぼ)多く農隙(のうげき)に筵(むしろ)を織り、縄を綯(な)い草鞋を作り、婦女は木綿を織りて売り出す。 中荒井村・二日町村・東麻生村・下荒井村・蟹川村・真渡村は多く菜疏を種て府下に鬻ぎ、和泉村・台村は宮川に傍ひ二日村・蟹川村・真渡村は鶴沼川に臨み漁網の利多し。また、下荒井村・真渡村より歳首(さいしゅ)出て、東国仙道諸郡を廻る。 大沼郡の村々は気候習俗高田組に同じ。 この組の諸村みな郷名失い、本郡の諸村は共に門田荘と称す。 凡三十二ヶ村あり(九ヶ村は大沼郡に載す)。 中荒井村 二日町村 東麻生村 宮袋村 宮袋新田村 寺堀村端村:新田(廃) 今和泉村 鷺林村 本多村端村:新田 十二所新田村 宮下村端村:勘太新田 荒田村 下荒井村小名:寶壽 端村:平太屋敷 蟹川村端村:小出、河崎 礫宮村 真渡村端村:鈴淵(れいぶち) 中里村 石原村 田村山村 舘村 出尻村 台村 和泉村端村:上和泉、下和泉、橋本 参考 北会津村誌 北会津の昔ばなしと伝説白髭の水
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陸奥国 会津郡 高久組 中森台(なかもりたい)村 大日本地誌大系第31巻 39コマ目 昔は中森代に作る。寛文中(1661年~1673年)今の字に改む。 もと村東1町20間余にあり。用水の便により寛永2年(1625年)今の地に移す。 府城の西北に当り行程1里30町余。 家数18軒、東西49間・南北2町26間。 米沢街道の両頬に住す。 北は河沼郡笈川組竹内村に続き三方田圃(たんぼ)なり。 東4町30間東森台村の界に至る。その村まで7町40間余。 西2町4間・南は村際にて、共に米沢村(界沢村の記述ミスか?)に界ふ。その村は西に当り10町40間余。 また巳(南南東)の方5町30間下高野村の界に至る。その村まで9町20間余。 水利 吉田堰 下高野村の方より来り、田地に灌ぎ笈川組森台村の方に注ぎ、その村の田畝を潤す。 神社 稲荷神社 祭神 稲荷神? 相殿 明神 地主神なり 伊勢宮 2座 熊野宮 鎮座 不明 村中にあり。 鳥居あり。高久村黒沢縫殿之助が司なり。 寺院 清松寺 村中にあり。 曹洞宗江安山と號す。 開基詳ならず。 府下滝沢町寶昌寺の末山なり。 弥陀を本尊とし客殿に安ず。 Google Map中森台地区 - 地名残らず。現在の森台の地に県道326号浜崎高野会津若松線が通っており、その西側が該当するかと思われます。なお村中の通路(稲荷神社から清松寺へと通る道)は旧米沢街道です。 蟻通(蟻道)稲荷神社 清松寺 河沼郡笈川組竹内村 - 余談:河沼郡と会津郡の境界について
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陸奥国 会津郡 河島組 関本(せきもと)村 大日本地誌大系第31巻 106コマ目 {{{ 府城の南に当り行程11里34町。 家数34軒、東西44間・南北5町。 東は山に倚り三方に田圃(たんぼ)あり。 東1町計河島村の山に界ふ。 西2町藤生村の界に至る。その村まで15町。 南3町20間糸沢村の界に至る。その村まで31町30間。 北40間[[河島村 会津郡河島組河島村]の界に至る。その村まで5町。 村西に下野街道あり。 山川 太郎嶽(たらうがたけ) 俗に家老嶽(からうがたけ)という。下同 村より巳(南南東)の方1里24町にあり。 頂まで25町。 南は糸沢村に界ひ、東は河島村の山に連なる。 荒貝川 村南3町30間にあり。 糸沢村の境内より来り、北に流るること6町、[[河島村 会津郡河島組河島村]の界に入る。 神社 伊勢宮 祭神 伊勢宮? 相殿 伊勢宮 2座 伊豆神 三島神 日光神 箱根神 山神 鎮座 不明 村より辰(東南東)の方40間にあり。 鳥居あり。田島村室井出雲が司なり。 八龍神社 祭神 高靇神? 鎮座 不明 村より申(西南西)の方1里計にあり。 室井出雲これを司る。 伊勢宮 祭神 伊勢宮? 鎮座 不明 村西にあり。 河島村南照寺司る。 山神社 祭神 山神? 鎮座 不明 村より巳(南南東)の方5町20間にあり。 鳥居あり。村民の持なり。 Google Map関本地区 家老岳(太郎獄) 関本神社伊勢宮 八龍神社 大皇大明神(伊勢宮) 山神社 石祠 関本神社に合祀されているもの(参考:福島県の意加美神社)延命地蔵尊 阿波嶋神社 八龍神社 大皇大明神 伊勢神名宮
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陸奥国 会津郡 中荒井組 館(たて)村 大日本地誌大系第31巻 47コマ目 昔この地に大なる館あり。その跡に民居を営みし故(ゆえ)名けりという。 府城の西に当り行程1里24町。 家数15軒、東西1町42間・南北46間。 四方田圃(たんぼ)なり。 東1町16間・北1町13間、共に田村山村の界に至る。その村は寅(東北東)に当り2町。 西2町21間宮下村の界に至る。その村は未申(南西)のに当り3町10間余。 南5町58間本多村に界ふ。 また巳(南南東)の方3町48間荒田村の界に至る。その村まで6町。 寺院 観音寺 村中にあり。 福聚山と號す。 真言宗大町一桂院の末寺なり。山號を福聚山という。 何れの頃の開基にか詳ならず。 天正3年(1575年)圓智という僧修補を加え、同16年(1588年)兵火の為に炎上し、その後再興して今に至れりという。 本尊弥陀客殿に安ず。 観音堂 境内にあり。 この堂もまた圓智が修理せし所にして、兵燹(へいせん)にかかりその後に再興せしという。 会津三十三所順禮の一なり。 北会津村誌館村 北会津の昔ばなしと伝説お腹ごもり観音 GoogleMap福聚山観音寺(舘観音堂)
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陸奥国 会津郡 滝沢組 大日本地誌大系第31巻 12コマ目 ※国立公文書館版より滝沢組地理之図。 雄山閣版は(なぜか)地図上から金堀と石盛山、牛畠が消されていた この地府城の東北に当たり、本郡の東北端にあり。 東は原組に隣り、西は高久組に交わり、南は南青木組に按し、北は河沼郡代田組に並び、未申(南西)の方府下の地を続く。 東西1里15町余(東は原組原新田村の界より、西は高久組下荒久田村の界に至る)。 南北1里4町余(南は南青木組慶山村の界より、北は代田組八田野村の界に至る)。 東北に山連なり西南は広平の地に続き人煙(じんえん)繁し。 村落多くは山に傍で住す水旱(すいかん)の患少なく土地肥え五穀僥(ぎょう)に薪材の用乏しからず。農隙(のうげき)に駄馬を追い、薪柴諸菌(きのこ)を採って府下に鬻(ひさ)ぎ出し、生産の資とす。 昔は原組の諸村もこの組に隷して瀧澤山組と称し、この組は瀧澤里組と称せり。寛文七年(1667年)分けて原組とす。 黒川郷に属するもの1ヶ村あり(滝沢村)。 その余は皆郷名を失う共に門田荘と称す。 滝沢村端村:中島、北滝沢 小名:大杉新田 金堀小屋:石盛(いしがもり) 牛墓村小名:真那板倉(まないたくら) 藤原村 郷原村 北柳原村 下柳原村 上居合村 下居合村小名:牛畠 松窪村 長原新田村 金堀村
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陸奥国 会津郡 松川組 大日本地誌大系第31巻 89コマ目 この地府城の南に当り本郡の東にあり。 東は白川領岩瀬郡に界ひ二岐嶽を限とし、西は楢原組に隣り大川を限とし、南は下野国那須郡に界ひ大峠を限とし、北は弥五島組に交わり大川を限とす。 東西1里10町(東は岩瀬郡湯本村の界二岐嶽より、西は楢原組刈合村の界大川に至る)。 南北5里6町計(南は那須郡三斗小屋村の界大峠より、北は弥五島組白岩村の界大川に至る)。 東南に高山連なり西北に大川めぐり、村里大抵山麓に倚り水田稀にして多く煙草を種て生産とす。 落合・桃曽根・木原等の村々は之行の暇に竹籠を造り出し、あるいは筵(むしろ)・糸楯(いとだて)を織り、小松川村・中妻村は榧(かや)実を掇(ひろ)って鬻(ひさ)ぎ出す。 落合村・音金村・水門村より薪を伐り大川に流し府下に出す。 この組の諸村九九布郷に属し、長江荘と称す。 松川村端村:宮内、中井 原村端村:上村 木令村 杉沢村端村:韭窪 南倉沢村 野際新田村 音金村端村:赤高原、沖原 落合村小名:山崎新田 端村:佐走新田 赤岩村 桃曽根村 檜木原村小名:上村、田頭 塩生村 張平村 赤岡村 寺山村 小松川村 中妻村端村:新屋敷、宮原 本九九布村 寺村 大窪村 沢入村 水門村端村:半同田(廃)
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陸奥国 会津郡 熨斗戸(のしと)組 大日本地誌大系第31巻 112コマ目 この地府城の西南に当り本郡の西南にあり。 東は河島組に接し、西北は共に古町組に界ひ、南は日光神領下野国都賀郡に連なる。 東西3里27町計(東は河島組滝原村の界中山峠より、西は古町組大桃村の山界に至る)。 南北6里20町計(南は都賀郡の界枯木峠より、北は古町組多々石村の山界に至る)。 村里皆川に沿って畳山左右に聳(そびえ)ゆ。 地面広けれども田畝(でんぽ)少し。 殊に立岩川の上流及び水引・西根の2川の傍(そ)ふものは帝釈・田代・荒貝の3山各その南に峙(そばだ)ち地幽寂(ゆうじゃく)にして冬月雪深く盛夏にも蚊なし。 さればその民自ら古樸(こぼく)の風を失わず。 稍魚猟の利あれども他に販き生計を資くるに足らず。蠺(かいこ)を養い又布を織て産業とす。 また精舎・岩下・戸中の村々は「とりもち」と製して府下及び越後国に鬻(ひさ)き出す。 この村の諸村立岩郷に属し長江荘と称す。 熨斗戸村 伊与戸村 森戸村木地小屋:保上(ほうしゃう) 八総村 井桁村 精舎村 岩下村木地小屋:上沢 戸中村 押戸村 角生村 湯岐村 湯入村 水引村 貝原村端村:岩間戸(いわまと) 吉高村 福渡村 前沢村 塩原村 田瀬村 介木生村 小高林村 木賊村小名:新屋敷(あらやしき) 河衣村 穴原村
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陸奥国 会津郡 中荒井組 台(だい)村 大日本地誌大系第31巻 47コマ目 府城の西北に当り行程1里23町。 家数4軒、東西25間・南北35間。 東北は和泉村の端村上和泉に続き1村の如く、西南は田圃(たんぼ)なり。 北の方20間余、上和泉の民居を隔てて家数1軒。 またその北20間余に家居1軒あり。 西2町和泉村の界に至る。その村は丑(北北東)に当り1町40間。 南25間出尻村の界に至る。その村まで1町20間余。 北会津村誌和泉村および台村 北会津村誌より一部抜粋 道路より西を台和泉、或は単に台村ともいって、和泉の肝 煎の支配はうけていたが、寛文五年の書上げでも、文化六年の書上げでも、ただの八軒で独立した村の取扱いを うけてきた。恐らくここに、全く系統を異にする、磐城の専称寺の末山、浄土宗正栄山台泉寺があったためと思 うが、文化六年の風土記では、これを和泉村に二ヵ寺あるがように取扱っているから、台村独立扱いの由来は、 確認は困難である。 Google Map台泉寺